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大島紬 × 元 允謙、平田 まりな

​Tsumugi × Tadaaki Hajime,Marina Hirata

まず大島紬を作り続けられる環境を残すこと – 元

時代を担う若い世代への紬PRの場を整えて - 平田

ー紬との最初の関わりや接点を。

 実家が8代続く大島紬の職人の家系で、はじめ商事は祖父の代から始まり、私で3代目になります。大島紬の環境で育ちましたが、当時家族が住んでいた福岡支店は流通の拠点。反物しか置いてなく、子供の頃は紬に関して興味がない生活を送っていた。大学時代にCG(コンピューターグラフィック)を専攻したが、性に合わず、大学時にたまたま島に3週間ほど滞在したときに、大島紬の製造工程に興味を持ち、職人を目指そうと決意。大学を1年休学し、島で紬について学び、そして復学。その後、京都の問屋で修行し、そこから奄美へ。現在は紬の伝統工芸士として、本場奄美大島紬協同組合青年部会会長として、大島紬の普及と発展に努めています。

 

平田 奄美の島唄を6歳から始め、現在でも私のスタンスはこの島唄が原点ともいうべき存在です。一時は上京し、さまざまな音楽を通して活動を行なっていました。現在は、島での音楽活動や島唄教室などで後進指導を行う傍ら、2020年から3年間、本場奄美大島紬美人の大役をいただき、さまざまな活動を通して紬のPRに努めています。紬との関わりは、やはり島唄ですね。幼い頃からさまざまな催しや発表の場で紬を着けていました。祖母の大島紬を私サイズの着物に仕立て、譲り受けていました。当然、成長過程で今では着ることはできませんが、島唄教室に通う子供たちに着させています。

ー紬の現状をどう見ているか。

 現状は製造現場から見ると、生産反数、従業者ともに激減の傾向となっており、厳しい状況だと思う。ただ外からの視点で見ると、紬は可能性に満ち溢れており、うまくやればチャンスはある。SDGsやサスティナブルなど大島紬に合致したワードがトレンドになっており、そこにいかに合わせていけるかで、少ない努力で大きな成果を上げることもできる。同世代の従業者は危機感はありつつも、それぞれのスタイルを確立しており、現状は特に問題はないように思う。ただそれは自分の代の話であって、次世代へのバトンの渡し方はそれぞれ悩みがあるように思う。また従事していない同世代の方々は、島の方たちは大島紬を「島のアイコン」のように思ってくれていて、大変ありがたい。自分たちが応援できる大島紬の製品を求めていると思う。島外の同世代の方々は一番ターゲットにしていかなければならない層だと思うが、大島紬に対する関心度は低い、というか認知度がかなり低いと思っています。伝統を未来へつないでいくために島の子供たちや、若い世代層に対するPRを頑張っていかないと紬の未来は明るくならないと思う。

 

平田 私は奄美で育ったので、「奄美のことを知ってもらう」ということは欠かせないことだと思っています。大島紬しかり、八月踊りや島唄のことも。島唄をやっていたこともあり、幼い頃から紬に慣れ親しんでいることもありますが、知っているからこそ伝えることもできます。高校2年生のときに、奄美で育った学生たちに大島紬の着用体験イベントがありました。「学生に贈る紬(のの)さばくり つむぎズム」でした。高校生でしたが、大人に交じって実行委員会の一役を担い、とても好評で素晴らしいイベントでした。参加した学生もとても喜んでおり、成人式ではそのイベントに参加した友達のほとんどが大島紬を着けてくれていました。知ってもらうイベントが数年たって生かされた形だと思っています。この3年間、東京や京都、いろんな場で紬の催事に参加させてもらいました。機織りの実演や加工の実演などは、訪れた人が目を輝かせ、紬を着ている私に説明を求め、教える自分、そして伝えることを通して、改めて大島紬の奥の深さを感じました。高校まで島にいる間に子供たちというか、帰郷した学生さんたちにも島を知ってもらう、紬を知ってもらう舞台を整えてほしいと思います。感動の種というのは、どこに植え付けられるのかわかりませんが、次代を担う人たちへのPRは欠かせないことだと思います。

ーもがきや悩み、問題点など。

 もともと製造に興味を持って飛び込んだ世界。紬を製造することに強い思いがある。でも作るだけでは生活はできないし、自分一人が頑張っても状況は好転しないのも、この従事した15年で理解できた。ものづくりにおいて「もがき」や「悩み」などのストレスは結構、重要だと考えていて、、新しいものが生まれる、イノベーションを起こすにはこの要素は必要だと思う。現場ではさまざまなコストのことや、販路のことで悩みは尽きないが、多分、ストレスが大きな革新につながると思っています。

 

平田 大島紬はブランドとして確立されています。それは「守られている」という証。元さんたちみたいに、紬全体のことを理解している方たち、知っている人たちが新しいことにチャレンジしていくことはいいことだと思います。好きな言葉に「フルメカシアタラシ」という言葉があります。今を生きている人たちと、古きよきものをつないできた、残ってきたものが出会ったら、それってもう「新しい!」と思う自分がいます。審査や検査に通った織物が大島紬といわれるものばかりでなく、大島紬から派生したものづくりなどを商品化し、新しい大島紬のルート開拓ができたらと思います。守られているからこそ遠くへ行ける。だからこそまた本流を理解し、戻ってこれることもあると思います。

ー紬をPRしていく提案や今後の発信、可能性について。

 大島紬の販売会やイベントはどんどん企画していただきたい。催事に望むのは、その対象にしっかり絞っていろいろ行うこと。着物を着る人向けだったり、奄美関係者向けだったり、大島紬を素材として扱う人や企業向けだったり。広く浅くのイベントだとあまり効果がないように思うので、紬の勝ちを分かってくれる先はあるので、そこを目指したイベントを組むのが大事だと思う。紬の可能性は最終製品(反物)だけではなく、多岐に渡る製造工程にこそあると思う。従事し始めた頃から思っているのは、「大島紬を残すことではなく、大島紬を作り続けられる環境を残すことが、結果的に大島紬を残すことになる」です。製造工程を分解し、製造工程ごとに、別のものづくりを行えるようにして、その工程(道具や材料、職人) を守る。そうすることで大島紬だけに頼らない経営ができるし、大島紬も作り続けられる、ということです。「言うは易し行うは難し」ですが、縛りがあるものづくりというのは案外、新しいものを生み出しやすいこともあります。着物にしろ、そうでないものにしろ、欲しがられているものづくりを柔軟に行える産地、職人になることは、今の多様化した社会で活路を見出すためには必要なことではないかと思っています。

 

平田 島唄の大先輩の築地俊造さんが「伝統は形を変えないと続かない」と話していたのを覚えています。過去から今を含めて何かしらが変化していくことは至極当たり前のことだと感じます。着る、身に着けることから、柄の変化や織り方などさまざまな方向性、派生していくことを模索していってほしいと思います。大島紬の本拠として、新しい方向性、魅力を見出していける土壌、産地として次世代へつなげていくことを願っています。

​2023年1月4日(水) 南海日日新聞掲載記事
 

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